マネジメントの原理原則を学ぶことの意味

21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。
それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく。

(P.F.ドラッカー)

マネジメントという言葉を、最初に、「経営」に適用したのは、ドラッカーだと言われている。「マネジメントの父」という由縁どおり、「ドラッカーの論理・言葉」を、現実の職場に落とし込んでいき、現場で日々、目的・目標達成に向けて、真剣に闘い続けるマネジャーは、一流のマネジメントを行っていくことができる。
彼の唱える「マネジメント」を、職場で実践に移して行くことで、効果的で、効率的なマネジメントを実践することができるからである。
彼の唱える「論理・言葉」は決して難しいものではない。とても分かりやすく、誰でもわかるように、噛み砕いて書いている。彼の書いた本を読んでみたり、経営学者や大学教授のドラッカーに関する講義を聴けば、『なるほどなあ』と思うものばかりである。特に矛盾点は感じない。納得の行くものばかりが並んでいる。しかし、それを実際に職場に落とし込んで実践できている会社・職場は、残念ながら、ほとんどない。
それは、彼の「論理・言葉」を単に概念として、頭に入れているだけであり、肚に落としこみ、行動に落とすことができていないからである。 現実のマネジメントに落とし込んでみて、初めて、論理は肚に落とし込め、実践に繋がっていく。
是非、マネジメントの大家のドラッカーから、21世紀に社会で生きる私たちは、深く、深く「マネジメント」を学んで行きたいものである。

今日の日本企業を取り巻く外部環境変化の大きさやスピードは、我々の想像をはるかに超えたものである。かつて JAPAN as NO.1 と米国人経営学者E.ヴォーゲルをして言わしめた日本的経営が、グローバルスタンダードを地球規模で求められるようになった現在、大変な変化の波にさらされている。

20年前に、超優良企業だったはずの日本航空(JAL)はあっけなく倒産してしまい、京セラ稲盛元会長の指揮下に入って、稲盛さんにゼロベースから再建してもらった。一流企業・一流百貨店の代名詞だった「三越」は伊勢丹に完全に吸収され、社員の大幅なリストラを余儀なくされている。三越の下請けに甘んじていた「ヤマト運輸」は、三越の傘から脱却して「宅急便」という新たなサービスを開発し、それに特化して行き、日本企業のブランド№2(1位は、アップル・・・2013年9月日経産業調査)にまで、大きく成長していった。超優良企業と言われた東芝が、現在、不正経理を積み重ねたことにより、経営の危機に瀕している。

当時「日本が崩壊しても、都市銀行は絶対に無くならない」とまで言われていた15行の都市銀行(協和・神戸・埼玉・三和・住友・第一・太陽・大和・東海・東京・日本勧業・富士・北海道拓殖・三井・三菱)が、たった3行にまで縮小編成されてしまった。また、戦後の復興を支え続けた長期信用銀行(興銀・長銀・日債銀)3行は、今は1行も無い。

「ライバルは、唯一ウォールマートだけだ。21世紀はダイエーの時代だ」と高らかに豪語していた中内功氏は既に亡くなり、彼の自慢だったダイエーは、はるか下のポジションに位置していたジャスコ(現イオン)の子会社になってしまい、「ダイエー」というブランド名まで、使えなくなってしまった。そのイオンそのものも、スーパー業界の長期低迷の中、戦線を拡大しすぎてしまい、苦吟している。

日本を代表する家電メーカーであり、戦後のベンチャー企業の雄、かつてはアップルのスティーブ=ジョブズを「私の目指すべき会社だ」と言わしめたソニーは、組織の制度疲労、夢喪失状態を引き起こし、直近10年間で、5000億円の最終赤字を生み、「どこに向かうのか?」社員でさえ、方向性の見えないまま苦しんでいる。

優良企業だったシャープは、液晶と太陽光発電に事業を「集中」したために、韓国・中国に技術・経営両面で追い上げられ、追い抜かれ、明日をも知れない「重症患者状態」に陥っている。何度リストラを敢行し、大幅な人員削減をしても、立ち直ることができない。

「 理念なき行動は凶器であり、行動なき理念は無価値である 」

(本田宗一郎)

「基本と原則に則っていないものは、かならず破綻する」

(P.F.ドラッカー)

20年前は山口県の宇部市で小さな洋品店を営んでいただけの会社が、今は驚異的な経常利益を上げ、10年後には5兆円企業になると創業者が豪語する「ユニクロ」になると誰が予測しただろうか?

このような変化の激しい環境下で、一人一人のマネージャーは何を指針にしてマネジメントを行っていけばいいのであろうか。巷では様々な処方箋が溢れている。欧米から輸入された経営、戦略、リーダーシップ、マーケティングの論理・ノウハウが流行となっている。
しかし、それはあくまでも教科書に過ぎない。教科書どおりに行ってマネジメントをうまくやっていけるのであれば、マネージャー全員が教科書を読むだけで、偉大な経営者になることができるだろう。

優秀な経営者・有能なマネージャーと、普通のマネージャーの違いは何か。

それは「学習と実践」の違いである。学習したことを、自分の言葉で論理化し、現実に組織の中で、その学んだ論理、体系化した論理を実践に移せるか否かが勝負どころである。

では何を学習するのか。それがマネジメントのEssence=本質である。本質とは、余分なものをすべて取り去ったあと、最後に残る「単純明快な真理」「原理原則」「問題にぶつかった時に戻るべき原点」と言えるものである。

マネジメントの本質を学んで、論理化し、現実のマネジメント現場で実践する。そして振り返り、また学習し、新たな実践を開始する。

このサイクルを、繰り返し、繰り返し、何度何度も行って更に高めていくことを、優秀なマネージャーや経営者は意識的に行っているのである。

私がマネジメントの原理原則を伝えることを想定している方は、新たにチームリーダーやマネージャーになりたいと主体的な意思・意欲を持ってマネジメントに取り組んでいる人、または既にマネージャーであるが、普段の自分のマネジメントに問題意識を強く感じている人である。

是非このような方々には、マネジメントの本質を学んで欲しいと願う。

大事なのは知識ではなく、実践である。

豊富な知識をいくらつけても、実践しなければ、何ら成果は得られない。知識を記憶しても受験勉強と同じで、すぐに忘れてしまう。何の役にも立たない。

まずは知識が、自分の担当する組織の現状や未来にとってどういう意味があるのかを自問自答し、自分なりの言葉・考えで第三者に向けて発信しなければならない。これができるようになることを「見識をもつ」という。

そして高い見識のもとに、マネジメントの目的を明らかにし、いつまでに何を実践するのかを意思決定し、トライ&エラーを繰り返すことによって実践論として自分の中に定着させる。マネジメントそのものを腹に落とし込む。これができるようになることを「胆識をもつ」と言う。

皆さんがマネジメントの原理原則を学ぶことで、ただの知識学習にとどまらず、見識と胆識を持ったマネージャーとして活躍されることを心より願ってやまない。